ホークスちょっと昔話「最強だったパナマの怪人」~フリオ・ズレータの巻
3月23日、とても楽しみなホークスOB戦がみずほPayPayドームで開催されます。
懐かしの面々が、ユニフォームに袖を通して再びグラウンドで躍動します。
彼らは現役時代にどんな輝きを見せていたのか。ホークス取材歴24年(2002年シーズンより)、ホークスの歴史をずっと現場で数々を取材してきました。そして、たくさんの原稿を書いてきました。
あの選手が当時どんな活躍をして、どんな思いで戦っていたのか。
その頃に私が執筆した拙稿ではありますが、ホークスにあった数々のドラマを、当時の熱量のまま思い出していただければ幸いです。
その名も、「ホークスちょっと昔話」。はじまり、はじまり~。
2020年5月「スポルティーバ」へ寄稿したもの
今世紀の初頭だ。日本人は米大リーグとの心の距離をずいぶん縮め始めていた。
野茂英雄がパイオニアとなった1990年代を経て、2001年にイチローがマリナーズへ加入した。その1年目から大活躍。打率3割5分で首位打者を獲得したのだ。さらに続いたのが松井秀喜だった。2003年に伝統あるヤンキースのピンストライプのユニフォームに袖を通すと移籍初年度こそ16ホーマーと寂しかったが、本拠地開幕戦では満塁本塁打を放ち日本人ファンと多くのニューヨーカーを熱狂させた。打点は1年目から106打点と勝負強さを発揮し、翌年には本塁打も31発へと増やした。
イチローの輝きも嬉しかったが、松井の時はまた違う感情が芽生えた。日本人がメジャーで主軸を打つ時代が来たのだ。とても誇らしかった。もう日本人は助っ人に絶対にパワーでは敵わないなんて過去の話になった、日本球界の常識は覆された……はずだった。
いや、やっぱり外国人打者はモノが違うんだ。2003年のシーズン途中に福岡ダイエーホークスにやってきた大男は、あまりにも凄まじいバッティングで、博多のファンの度肝を抜いた。
パナマの怪人の異名をとった、フリオ・ズレータだ。
とにかく、でかい。第一印象が強烈だったのは今も忘れない。
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