和田毅、引退会見後の言葉。5000字超に込められた感謝、矜持、これから
和田毅投手の引退会見を取材してきました。
私はホークス番記者歴23年なので、自分がこの仕事を始めた翌年に和田投手が入団してきたのですが、それ以前から縁がありました。
法政大学の学生で「スポーツ法政新聞」の一員だった頃も私は“野球記者”でした。東京六大学野球リーグ期間中、法政の試合は欠かさず取材していました。
私と和田投手は2つ年が離れていますが、一浪して大学に入ったため1学年差。なので、神宮球場で和田投手が投げる姿をよく見ていました。
当時の取材ノートを押し入れの奥から引っ張りだし、初めて和田投手の登板を生で観たのを調べると1999年の秋季リーグ、法政vs早稲田の3回戦だったことが分かりました。先発・藤井秀悟投手(1999年ヤクルト2位)、2番手・鎌田祐哉投手(2000年ヤクルト2位)に次ぐ3番手で9回表に登板。1回2安打1失点という記録が残っています。
正直、全く記憶にありません(苦笑)。めちゃくちゃ勿体ないと思いますが、あの頃は特に目立つ投手ではなかったのです。しかし、その後和田投手はメキメキと力をつけます。今もはっきり覚えているのが1年後の2000年の秋季リーグ、法政vs早稲田の2回戦です。先発は、のちにホークスにも在籍した江尻慎太郎投手。4回1失点だった江尻投手をリリーフしてマウンドに上がった和田投手が圧巻の投球を見せました。5イニング、つまり15アウトのうち12を三振で奪ったのです。
その日法政は敗北。当時大学3年生で野球班のトップだった私は山中正竹監督の取材担当だったのですが、めちゃくちゃ不機嫌だったのも忘れられない思い出です(苦笑)。江尻さんも「あ~俺の尻ぬぐいで出てきたときね」とやはり記憶しているようでした。
【会見で語られなかった和田投手の本音や思いなど。記事の続きはサポートメンバー登録で読めます。ご登録お待ちしてます】