「10・2」の記憶。感涙のサヨナラVは11年前の午後10時23分だった
今日は10月2日ですね。
この日付のたびに思い出す“史闘”があります。
2014年10月2日。(2022年の10月2日は…は置いといて苦笑)
2020年4月にスポーツナビに寄稿した「あらゆる涙が交錯した「10・2」の死闘 “常勝”ソフトバンクの原点」を、こちらに再掲しました。
試合終了時刻は「午後10時23分」でした。
この日に至るまでの当時のチーム状況。迎えた運命の一日。当時の背景。そして延長10回、ドームが歓喜のと感動に包まれました。
11年前の記憶を呼び起こしてください。
【2020年4月に寄稿したコラムなので、一部当時の表現になっています。ご了承ください】

スマホに残っていた優勝決定直後の写真。ホームランテラスがない時代
ホークス球団誌の編集記者としてこの世界に飛び込み、3年目途中にフリーとなってからもずっと同じ球団を番記者スタイルで追いかけて、ついに今年で19年目を迎えた。その間にリーグ優勝6回、日本一7回に居合わせる幸運に恵まれている。数々の勝利のドラマに立ち会ってきた。その中でも、やはり一番忘れられないのが2014年10月2日にリーグ優勝を果たした時だ。
朝からずっとドキドキして、でも不安でハラハラして、夜遅くには大興奮してとにかく仕事をしまくって、そのあとは燃え尽きたような言葉に表せない疲れを感じた一日は他に経験がない。
その運命の決戦の前に、まずは時代背景をおさらいだ。
前年のソフトバンクは秋山幸二監督が就任して初めてBクラスとなる4位に沈んでいた。73勝69敗2分と貯金を作っていたので低迷とまではいかなかったが、チームの課題が浮き彫りになったシーズンだった。11年にリーグ連覇と日本一を果たした時のメンバーとは大きく入れ替わっていた。和田毅や杉内俊哉がいない投手陣。攝津正がエースとして君臨したが、その背番号50が先発に回ったツケでリリーフ陣は少し頼りなかった。
野手でも川崎宗則がチームを去り、そして12年をもって精神的支柱だった小久保裕紀が現役を引退した。13年は長谷川勇也が198安打、打率.341で打撃2部門のタイトルを獲得したり、内川聖一(打率.316、19本塁打、92打点)や松田宣浩(20本塁打、90打点)と勝負強さを発揮したりしていたが、チームとしてはここ一番での長打力不足が心もとなかった。
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